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しかちゃんの徒然

お越し頂き嬉しいです 日々の中での色々な事をまとまりも無く書き込んでいます

母への土産

母が薬を入れてる箱

かなり使っていて結構ぼろぼろに

父がまだ居た頃に「元気になって新しいの作ってやるよ」って言っていたらしい

でも、作らぬままに・・・・・

で、旦那にその話をしたら作ってくれた

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ハッポースチロールで組んである  使うときは同じ向きに

IMG_0298.jpg

手拭





布張ったほうが見栄えが良いし (^^ゞ

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出来上がりだよ

旦那曰く 「おやっさんみたいに上手くは出来んけどな」って

それで、布が余ったから私はこれ作ってみた  (*^_^*)

IMG_0321.jpg
シュシュ  笑

これで全部手拭使いきり!

IMG_0309.jpg
このアルバムもお土産

父の葬儀から四十九日までの私が撮った写真やらビデオカメラの映像から写真にしたものを入れてみた

これから父に関わることの写真を入れていこうと思う

母も想い出になるやろうしね (*^_^*)










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先日夜勤明けで実家に

普段電話では
「気にせんで良いよ 大丈夫だから」って言ってるけど帰るとやはり嬉しそうにする

食事も義姉が持って来てくれたり自分でも偶に作ったり惣菜を買ったりしてる様だが

「一人だと食べたくないわ」「一人で食べても美味しくないしな」「お父さんがおらんとなんか作って食べさしてあげようと思わんし」と食が余り進んでない様子

でも、先日は「おでん」を仕込んでいたので鍋に入れ持って帰り母と二人で食べました

「美味しい美味しい」 「一人で食べるんと違って美味しいわ」と言って沢山食べてくれました

父も良く「大勢で食べると美味しいなぁ」と言って本当に美味しそうに食べてくれていました

「おとうさんがおらんとなんにもしたくないしな」「まだ、片付けようと言う気持ちにならへん」
「探しもんばっかりしてるわ」「ボケるん違うかな」と

正直私も心配です

父がやっていた俳句を進めました

元々は、母がしていて感化された父がやりだし新聞にも良く載せてもらっていたんです

「そうだなぁ、ボケたらあかんし俳句なら出来るからチョットづつしてみようかな」って

年賀ハガキが余っていたのであて先を印刷してやろうと思い持って帰ってきました

今月末法事です

いよいよお別れです

母がこれで良い方に向ってくれる事願っています

残り少ない時間これからは自分の為に楽しんでいける時間であって欲しいと願う

そして、嬉しいお願いが

母が急に「カレーが食べたいわ」 「前から食べたかったけどな」って

「良いよ今から買い物に行って作るわ」と言いリクエストに答えました

明けで着いたのは15時 帰るのは次の日の14時~15時

それだけの短い時間でも母の支えになっていればと車を走らせます

そんな短い時間のなかで食べたかったカレーを美味しそうに食べる母を見てると又帰ってこようと思う娘です

父の姿・・・

さっき、母から電話

用件は従兄弟の携帯番号のことでした

でも、寂しいんでしょうね

母が

「なんか、今日は家の中にお父さんがおるみたいで」
「ここのソファが気に入ってよう座っていたから手を貸してあげようと思ったけどあぁ夢かなぁって」
「なんかおんなるみたいな気がしてな」



「お父さんはおるんよ」
「お母さんがそう感じるってことはお父さんが守ってくれてるってことやんかぁ」



「ほんとうだ そうやな そう思うわ 守ってくれてるんだな」

時には愚痴を言っていたがやはり母は寂しいんだろうね

電話を切ってこの記事を書きながら私も何故か涙が・・・











父の死

やっとブログ更新できます

15日に父が亡くなり悲しむことも忘れた様にバタバタと時間が過ぎて

今やっと折に触れてふっと涙が・・・

これからもっと悲しみ寂しさを味わうことになるでしょうね

私以上に母はショックが大きくこれからが心配です

何とか支えていってやりたいと


ブログ上も多くの方がお悔やみの言葉励ましの言葉を残してくださり
感謝しています
ありがとうございます

9時01分…

一生忘れない時間でしょう


昨日のこの時間父が息を引き取りました


その時には間に合いませんでした

父の様子

今母に電話してみた

う~ん!弱ってる

父は食事を一切受け付けないらしい

今も点滴のみとか

病院側からこんなに食事が出来ないのは肺炎だけではないかも

検査しましょうって

腸関係全てそれに胃カメラも

聞こえたのかどうか母が言ったのか

父は痛い目 しんどいめはしない

穏やかに逝きたいって言ったらしい

母も同じ考え

幾度も大きな手術をしているからこれ以上しんどい目はさせたくないってのが望み

静かに逝かせてやりたいって

病院側にはその旨伝えて検査はしないらしい

どこまで持ちこたえてくれるのか

母は今回は覚悟していると言う

ずっと傍にいる母がそう感じているならば

そうだよね、私も覚悟しないといけないのかな

悲しいけれど


何れは別れは来るものだものね













父の様子

18時ころに母から電話

朝早くからずっと父の傍にいる

今日は少しと言ってもスプーンで何口か口にした様子

状態は変わらない

母が帰る時に「明日朝又早く来るから」って言うと

「その朝が淋しい」「早く来てくれ」って

その母 風邪をひいたらしく鼻声で話していても呼吸がしんどそう

薬のんで温かい牛乳飲んで早く寝るように伝える

今年90歳の母

毎日自分で車運転して父のところに行き足元寒い中ずっと付いている

大変な重労働だと思う

頭が下がる思い  感謝しかない

父!

小さくなってる・・・って感じた

病院のベッドの中の父

食事は全くって言うほど受け付けない様子

点滴だけしている

帰った日は丁度母がHPから帰って来たので又一緒に父の元へ

熱にうなされているのか

でも、呼びかけると目を開けて「来てくれたんか」って

暫く居て今日は帰るねって言うと淋しそうな顔をしている


母もかなり弱っている

父より母の体調が心配

「おとうさんを見送らないとお母さんは死なれへん」って口癖

今日も母が病院に行くのを見送ってから部屋を片付けたりして帰ろうと思ったけど

もう一度父の顔を見ておこうと思い入院先へ

父は少し熱が下がり眠っていた

母はずっと傍に付いている

父がうわ言との様に家族の事を心配しているらしい

母と父に手紙を書いて置いてきた

帰る時に父に「帰るよ」って声をかけると

目を開けて「そうか、来てくれて有難う 気をつけて帰れよ」って心配してくれる

そして、また直ぐに眠っている

父の入院

義姉からメールが入り携帯の留守電も

仕事に入るとナカナカ電話は見られないから気づくのが遅くなった

今朝父の様子が急変して119で運んだ様子

義姉に連絡しても病院内だからか電源が入ってなくて連絡着かず

甥のお嫁さんに連絡

状況判断はそれとなく分かった

義姉から連絡入るけど行き違いに

勤務終り急いで家に帰り20時半頃やっと母に電話

母もかなり気弱になってる

どうやら肺炎らしいけどそれだけではないかも

母と30分くらい話してから義姉にお礼の電話

なんとか回復傾向にあるみたいだが予断は許さない状況だと思う

明日夜勤なんで明けたら急いで帰ってみようと思う

う~ん!

持ちこたえて欲しいが!








自由に出来ないよ

咳・くしゃみ

これって自然と言うか出ちゃいますよね

でもね、実家に帰るとこれが自由に出来ないんです

何故かって言うと


母が気にするんです 

父に移るからとかではなくて

咳をすると・・・・・今変な咳したけど風邪の咳じゃないみたいやで

くしゃみすると・・・・・寒いちがんか、風邪か

なんてね  笑

だから、咳くしゃみをするときは母の居場所を考えてないとね  (>_<)


先日も実家で寝るときに電気敷き毛布をしたから掛けフトンは薄い物をしたんです

母曰く・・・それで大丈夫なんか  冷えるで   風邪引いたらこまるで

等など

朝起きれば、寒くなかったんか  大丈夫やったか

などなど

自分達の感覚で言うから大変です

でも、有難いですね

何時までも母  親  子  娘 なんですね


こんな気持ちを私も娘に何時までも持っていたいと思います

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